2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
一方で、皆が同じように豊かになる高度成長期から、価値観が多様化し、また世界が大きな経済の荒波にさらされる時代に変わりつつあることを強く感じ、これらの中で国民の皆様方の幸福に貢献するには、役所の枠組みではなく政治の道でしか実現できないものがあると考えました。そこで、二十九歳で通産省を退職し、一九九三年の総選挙に立候補しました。
一方で、皆が同じように豊かになる高度成長期から、価値観が多様化し、また世界が大きな経済の荒波にさらされる時代に変わりつつあることを強く感じ、これらの中で国民の皆様方の幸福に貢献するには、役所の枠組みではなく政治の道でしか実現できないものがあると考えました。そこで、二十九歳で通産省を退職し、一九九三年の総選挙に立候補しました。
○国務大臣(赤羽一嘉君) 我が国は、戦後の高度成長期に、例えば東京や大阪に地方から人口が集中して、その中で経済成長を支えてきたという歴史があったと思いますが、それに対して、このコロナの蔓延になりまして、ある一部の評論家では都市への集積そのものを見直すべきだといった論調もあることは承知をしておりますが、しかし、私は、我が国全体の経済成長等々を考えると、主要都市の国際競争力の維持というのは、もうこれはなくてはならないものだというふうに
アジアには、日本の競争相手、安全保障上緊張関係にある国、相手がいなかった高度成長期、バブル時代の幻想から目覚め、国民に対する説明責任を果たしつつ、現実を直視した有効な経済安全保障体制を構築することを求め、質問といたします。(拍手) 〔国務大臣小此木八郎君登壇、拍手〕
高度経済成長期において日本産業の競争力強化政策に尽力をした官僚の姿が描かれているものでありまして、私も読ませていただきましたが、まさにこういったところにも今申しました長い歴史が感じられるところであります。 こうした長い産業競争力強化政策の流れの中で、二〇二一年の今日における国際、国内環境に対する現状認識と、それを踏まえての日本国の産業競争力強化政策の方向性について伺いたいと思います。
ただ、私が一番最初に質問させていただいて、次に質問させていただいたことは、最初の答弁の中にもあるわけですけれども、かつていろいろと指摘をされる関係者もいたし、不安を訴える人もいたと思うんですが、高度成長期の中で声がかき消されてきたようなところがある、そういう中で積年の積もってきた施策が環境を破壊してきた、そうしたものを反省して、様々計画もして、取組で再生させていく、そういう中で今局長もお答えになった
埋立面積も、累積でおよそ三万ヘクタール、高度経済成長期が最も激しく埋め立てられ、二〇〇〇年を迎える頃には、ほぼ同じ、今と同じ面積になっています。 瀬戸内海の埋立て等開発行為に伴って、自然海岸や天然の干潟あるいは藻場はどれだけ減少してきたのでしょうか。数字を示してお答えいただきたいと思います。
一九六〇年代初めからの戦後の高度経済成長以降の約六十年間、私もそういうことでいうと高度成長期に子供の頃そして学生時代を過ごしまして、日本が経済成長していく、ただ、後にその経済成長のツケが数々、水俣病のこともあります、成長とともに様々な課題が出てきたということであります。
例を挙げますと、人が立ち入れない場所の調査や景観の撮影、高度成長期に施設したインフラが一斉に老朽化を迎えている中での橋梁や道路の点検、下水道や送電線の点検、また、農業における農薬の空中散布や生育状況の把握、山間部、過疎地、離島への物流、災害時の被災状況の把握と医薬品や食料を始めとする物資の輸送、山や海での遭難への対応など、多種多様な場面での利活用が進んでいます。
日本のGDPの内訳を見ても、高度経済成長期の一九六五年には、第二次産業は四二%、第三次産業が五二%を占めていたのに対しまして、二〇一九年では、第二次産業は二六%、第三次産業が七二%に構成が大きく変化をしてきているところであります。他方、産業別に見てみますと、物づくりとサービス業の垣根が曖昧になってきております。
電力の歴史を見てみても、高度成長期も、物すごい高圧線を造るときもラストワンマイルの細い線を造るときも、みんな託送料金から広く薄く徴収して、公のものなのでやりましょうということで、どこかの電源に多く負担を求めてきたわけではなかったわけですけれども、このルールを変更をしようとしているわけです。
○落合委員 公平という観点からということですが、例えば、高度成長期のときに、大規模集中型の電源を造らなきゃいけないと。その中の一つが原発だったわけです。 原発は、基本的に田舎というか地方の方に造りますので、そうすると、送電線がないところに造っていたわけです。しかも、物すごい高圧線を敷かなきゃいけない。
また、高度経済成長期以降、大都市への急激な人口移動と都市型へのライフスタイルへの変化が生じ、居住ニーズに合わなくなった住宅が次世代に引き継がれずに壊されていったということもございます。
そこに雨畑ダムという日本軽金属のダムが造られたのは一九六七年、高度経済成長期でありました。造ったときは、このダムは約百年間で六百万立方メートルの堆砂がたまるという計画でしたが、既に、十年そこそこでどんどんどんどん堆砂がたまってまいりまして、逆に、もう二〇一九年度現在では、五十年たったところでしょうか、ここの貯水量が千三百六十五万立方のところ千二百五十七万立方、既に九割が土に埋まっちゃっている。
農地面積の減少の理由でございますけれども、高度経済成長期またバブル経済の頃には転用需要が大変多かったということが最大の要因でございましたが、近年は、農業者の高齢化の進行あるいは担い手不足等の構造的な要因によるところが大きいのではないかと考えているところでございます。
いわゆる高度経済成長期に急激な都市化が進む中で、狭隘な道路と、ちょっと言葉は悪いですけれども、無秩序な住宅地が形成された結果、私の地元でも、とても緊急車両が入れないのではないかとか、災害時の避難確保ですとか、日照とか採光の問題とか、余り、どうなのかなと思っていますが、地元で聞いても様々な人がいらっしゃって、いや、車が入ってこれないからいいんだと、閑静な住宅だというような価値観を持たれている方も結構多
戦後の復興からの立ち上がり、そして高度経済成長期を経て八学部二十五学科・課程を擁する大学へと発展してまいりました。 地域の中核都市に立地する本学は、医師を始めとする医療人や教員養成、そして法曹や地方自治体、国、出先機関が必要とする地域の中核人材養成と国家レベルで必要とされる理工系を中心とする技術者養成を担ってまいりました。
これは私が子供の頃、昭和の高度経済成長期、よいものをより安くという感じで、昭和の高度成長期のビジネスモデルがそうだったんですね。定価販売だったものが、流通革命で、流通業者がバイイングパワーで安く買って安く売る。消費者はうれしいわけです。薄利多売で消費者はうれしい。
○政府参考人(和田信貴君) 高度経済成長期に急激な都市化が進む中で狭隘道路と無秩序な住宅地が形成され、このような住宅市街地におきましては緊急車両の通行、災害時の避難路の確保、日照の確保などの課題があると認識してございます。
また、高度経済成長期以降、大都市への急激な人口移動、あるいは都市型のライフスタイルといったものが変化してきまして、居住ニーズに合わなくなった住宅が次世代に引き継がれずに壊されてしまっているということがあるかと思います。
○政府参考人(井上智夫君) 総合治水は、高度成長期以降著しい市街化が進み、宅地開発や舗装等により雨水の流出が増大したことに対応するため都市部の河川において取り組んできたのに対し、流域治水は、気候変動による降雨量の増大に対応するため、都市部のみならず全国の河川において取り組もうとするものです。
高度経済成長期に我が国は、効率を重視して、首都圏に人口やインフラを集中してきたところであります。その後もこの流れを止めることができずに、地方では人口減少や空き家の増加など、様々な課題を抱えております。 ところが、新型コロナウイルス感染症が発生をして、集積のリスクというのを浮き彫りにしたわけです。
○国務大臣(麻生太郎君) 高度経済成長期という、まあ秋野先生生まれる前の話かもしれませんけど、この言われたときに、やたらめたらと日本は、地方の道路、それからダム、下水道等々、いろんなものを一斉にやった時代があったんですが、こういったものの寿命というか、あれがある程度来ているということは間違いないんですが、これコンクリートでできておりますので、元セメント屋から言わせてもらうと俺の方がよっぽど詳しいと思
特に、高度成長期に生まれた世代の方々にとっては、生活体験が近代化の中で育ってきたわけで、民俗技術とはどういうものを指すのか分からないと思います。現存する民俗技術は何かという問いかけに答えられる体制が市区町村にないとも聞いております。 民俗技術について、資料に衣食住とありますが、説明をお願いします。